2017年02月16日
所長の眼
所長
神津 多可思
先般、リコーのタイ拠点を訪れる機会を得た。短い滞在ではあったが、感じるところが多かった。
一般に、グローバル企業の海外拠点には販売と生産の二種類がある。リコーもタイにその両方がある。昨今のトランプ旋風の中で昔を思い出した向きも多いのではないかと思うが、1980年代の終わり、つまりバブルの始まる前に日本の輸出製造業は欧米との貿易摩擦や円高による採算悪化に苦しめられた。その過程で、国内で生産して海外に販売ネットワークを張り巡らせるというモデルが、次第に生産拠点も海外に移すものへと変わっていった。
一方、80年代の終わりにベルリンの壁が崩壊し、文字通り地球規模でグローバル市場が形成されていく過程で、多くの新興国が競争に参入してきた。それまで日本経済を語る時、必ずしも中国に言及しなくても良いことが多かったように記憶しているが、今や世界経済を語る時に中国を無視することは到底できない。四半世紀でグローバル経済は大きく変わってしまったのである。
新興国におけるICT(情報通信技術)の進歩は「カエル飛び」とも言われ、先進国での歴史をただなぞっている訳ではない。タイも同様であり、バンコク市内ではデジタル機器の利用が非常に速いスピードで進んでいるようだ。実際、リコーのタイ販売拠点のトップは「ハードウェアの売り上げが急速にソフトウェアのそれに入れ替わっており、もうすぐウェイトとしては逆転するだろう」と語っていた。これは、日本の製造業のモノづくりが新しい挑戦を受けていると捉えることもできる。ハードウェアと一体化されたソフトウェアでいかに利益を上げていくかが、新興国市場においてこれまで以上に問われるからだ。
生産面ではリコーも2000年代に入ってからタイに生産拠点を設立した。今や中国・深圳工場とともに海外の主力工場の一つとして成長を遂げている。現場をみると、多くの部品からつくる製品を海外で生産することの大変さを改めて痛感する。
モノづくりのコストの中で、組み立てにかかる人件費はその一部でしかない。高付加価値品になるほど、必要部品をいかに円滑に且つできるだけ廉価で調達できるかが重要になる。そうしたサプライチェーン全体を張り替えることのコストは非常に大きい。安い人件費を求めて生産拠点を次から次へと動かしていくビジネス・モデルを頭では考えることができるが、どういう製品をつくろうとするかによってはそう簡単な話ではなくなる。
操業開始から7年を経て、リコーのタイ工場での生産もいよいよ本格化してきた。笑顔での挨拶を今でも忘れていない地元の人々が一生懸命に働いている。そして、従業員の働きが日本と同じ品質の製品生産に結実するよう、多くの日本人社員が遠く母国を離れ、この季節でも日中は35℃にもなる現地で頑張っている。それを目の当たりにすると、何やら自分までもが元気になる。
こうした販売や生産の現場を「グローバル化」という言葉で括ってしまえば、それまでだ。しかし、たくさんの人々の汗と、そして恐らく時々は涙にも支えられているのである。苦労の多いプロセスに違いないが、血を流すことなく共に豊かさを目指すことができるならば、本当にありがたいことだと思う。幸せを生む「グローバル化」の在り方を、グローバル企業の一員としてこれからも考えなくてはいけない―。と改めて思いつつ、まだまだ寒い日本への帰路についた。
左/バンコク郊外パタヤ近くの海岸の夕暮れ、中央/リコータイ工場=Ricoh Manufacturing (Thailand) Ltd.、右/発展するバンコク市街
(写真)筆者
神津 多可思